先日『QST病院』で血液検査とCTを終えて
Drから異状なし! 良かった ホッ! としていたら “来年どうしますか” と言われて
私??? “来年も検査お願いします” と返事しました。
病院を後にして 門を出て駅方面に歩きながら・・・
同病院で’01年の再発と ’02年の転移が発症、 重粒子線治療とPET検査をして元気 既に19年経ち検査結果は異状なしが続いたので “今後の検査はもういいだろう” の結論と思った。
何時か検査を終えるにDrが言うのか 私からは言い難いと思っていた。
帰りに QST病院の門を パチリ!
Drとは ‘94年6月、県ガンセンターで会い 7月に8時間余、癌の大手術 5時過ぎICUで目が覚めて天井を見て “無事生き返った” と今でも目にした天井の蛍光灯をよく覚えています。
経過は良好8月お盆前に退院、毎月定期検診して異常無しが続いたが
‘00年秋、6年後に再発して手術は無理、抗癌剤は効かない。
私はもうダメか? 再発なので諦めていたが重粒子線治療に決まった。
私を手術したDrは‘95年 放射線の研究で渡米していたが
‘00年11月 旧:重粒子医科学センター病院(現QST病院)でDrと再会
何かの縁があったのか Drも私の元気な姿を見て驚いていました。
実は県ガンセンターの退院時、Drはカミさんに “早くて6カ月 長くて1年後 癌が再発するだろう 覚悟して下さい” と言っていたが私は知らなかった。
遡ると癌は市中の病院で見つかり 途方にくれて一週間悩み私の人生も終わりかなと覚悟・・・近くの田圃を散歩して稲の苗が青々して元気盛ん 来年は見られないかもと思った。
其の時見た元気な稲の苗は、当時と変わらない風景です。
県ガンセンターに入院して病棟で「同病相憐れむ」の仲間に救われた。 病気の不安な気持ちも忘れて平常心になり落ち着いた。
そして退院する時、悪いものをとったので もう大丈夫、頑張って定年を元気に迎えて前向きに生きたいと思った。
しかし胃がなくなると日々の生活が大きく変り食べる量が少なくなり体力維持に筋力トレーニングを取り入れウォーキングに励みました。
定年は此れまでにない人生最高の日を迎えて “頑張った甲斐があった” と周りの人たちに感謝の気持ち一杯でした。
次は 古希を迎えて祝いたい もっと精進しなくては と思った。
振り返れば 五十代は仕事にストレス多い毎日、病気が色々発症して10年を過ごしました。
定年後の六十代、会社を離れてストレス無く病気無しの元気な10年間、ゴルフを止めて車で日本各地を周り観光、ハイキングとトレッキングしました。
七十代の今、私が元気なのはDrとカミさん他皆さんのお陰 此れからも健康に留意してボケないで穏やかな毎日でありたい。
そして元気に喜寿を迎えて 男の平均寿命越え を目指しています。